大豆島の青年は団結力があり、けんかが強いことで知られていた。『信毎年鑑』(昭和二十九年)の市町村要覧「大豆島」の項には「比較的進取的であり、負けずぎらいが有名で、むかしから近在に恐れられたという」と記されている。江戸時代から若者組があったが、明治二十九年、「同窓会」という組織ができ、夜の学習・講演会などをおこなった。大正四年上水内郡連合青年団が創立され、大豆島では同窓会の名のままこれに参加、そのとき、女子同窓会もできた。昭和二年、大豆島青年会と改称した。
戦後、昭和二十一年一月一日、小学校講堂に青年三百余名を集めて民主青年団が郡下で最初に誕生した。小学校卒から三〇歳までの青年を対象とする網羅組織だった。
討論会などが活発におこなわれた。この組織は同二十四年にいったん解散、二十八年三月大豆島村連合青年団として再発足した。集落ごとに結成されていた松岡若草会・白バラ会(大豆島上区)・中組青年会(中区)・東部青年団(下区)・西区青年団・西風間青年団・東風間青年団の七団を母体とする連合組織で、機関誌の発行・講演会・運動会などをおこなった。