大豆島の土地改良事業

527 ~ 528

農業が近代化され、大型機械などの導入が急速に進むなかで、農地の区画整理また集団化が必要な時代になった。大豆島では近隣に先んじて市街地に近い松岡・西風間・大豆島と中区で、昭和四十年から四十二年に、四五町歩(四四・六ヘクタール)規模の農業構造改善事業がおこなわれた。さらに四十八年から四十九年に大豆島上区本郷前で二〇町歩計画で南部土地改良事業が計画実施された。

 つづいて五十一年から五十三年に大豆島中区・下区・東風間・南屋島に関係する東部土地改良共同施行が、一連の東部開発事業の計画のなかで七五町歩(七四ヘクタール)が実施された。長野市の東部浄化センター、縦貫道路(現在の東外環状道路)、また東団地造成などの用地の代替えに対応しすべて完成、現在の地区発展の基となった。

 南部土地改良の竣工記念碑は、大豆島上区権現社前に建てられた。東部土地改良については、下区車外環状道路長野地域職業訓練センター前に記念公園がつくられ、土地改良区の一部始終を記した記念碑が建てられた。