昭和二十九年(一九五四)長野市に合併したころの大豆島(まめじま)地区はまったくの農村で、商工業は発達していなかった。「商工業は不活発で、かつて工場のできたことがない」(『信毎年鑑』昭和二十八年版)といわれるほどだった。しかし、犀川に近い低湿地が広く、市はこの地区に二つの大きな工場・施設をつくった。
昭和四十五年、松岡の堤防沿いに長野市清掃工場が完成、同五十七年にはまた充実した新清掃工場が稼動した。六十年には清掃工場の余熱を利用した総合レクリエーション施設「サンマリーンながの」がオープンし、市民に親しまれている。また、同五十六年に長野市の下水道汚水処理場として落合橋北東に東部浄化センターが設けられ、地元への見返りとして大豆島地区には他地区に優先して下水道が入った。