浄化センター新設と同時にその西に接して市営アパート五棟(一棟三〇世帯)、一戸建て住宅一五〇戸が建てられ、昭和五十七年(一九八二)、大豆島(まめじま)東団地となった。
風間・松岡にも民間不動産業者による団地造成が進み、人口は昭和四十年ころから急増し始めた。大型店も同五十八年にK店、平成元年(一九八九)B店、同五年A店と三店が出店、ことに長野東バイパス沿線が急速に都市化しており、人口が急増しつつある。
平成八年末、五輪大橋が完成して、対岸の市場団地と直接結ばれるようになった。
団地造成と人口増加
浄化センター新設と同時にその西に接して市営アパート五棟(一棟三〇世帯)、一戸建て住宅一五〇戸が建てられ、昭和五十七年(一九八二)、大豆島(まめじま)東団地となった。
風間・松岡にも民間不動産業者による団地造成が進み、人口は昭和四十年ころから急増し始めた。大型店も同五十八年にK店、平成元年(一九八九)B店、同五年A店と三店が出店、ことに長野東バイパス沿線が急速に都市化しており、人口が急増しつつある。
平成八年末、五輪大橋が完成して、対岸の市場団地と直接結ばれるようになった。