十二遺跡

540 ~ 540

昭和十年(一九三五)十月、北長池十二家裏(いえうら)の耕地で、付近の住民が大量の土器や石器を掘りだした。土器は、縄文時代から平安時代まで、各時代のものが出土した。弥生式土器では、栗林式・百瀬式・箱清水式の土器が出土した。古墳時代・奈良時代・平安時代の土器は、土師器(はじき)である。石器は、縄文時代の石鏃(せきぞく)・石斧(せきふ)・石匙(いしさじ)・石剣・石棒(せきぼう)、弥生時代の石鏃・石斧など種類が多い。勾玉(まがたま)や管玉(くだたま)も出土している。なかでも注目されたのは「蕨手(わらびて)の刀」であった。全長約四十五センチメートル、幅約四センチメートルで、木のさやに収まっていた。

 善光寺平の平野部には縄文時代の遺跡はないと思われていたが、この遺跡は平野部から最初に縄文時代の遺物の出てきた遺跡として注目すべきである。最近になって、平野部から縄文遺跡が出てくるようになり、この遺跡が見直されている。