尾張郷

541 ~ 541

古代の律令制では、郡の下に郷という行政単位が置かれていた。朝陽(あさひ)地区の大部分は、尾張(おわり)郷に属していたと考えられる。尾張郷は、朝陽地区から古牧(こまき)地区にかけての一帯で、その名は、尾張氏の部民(支配する人民)が住んだことに由来するといわれる。尾張氏は大和国(奈良県)葛城(かつらぎ)の高尾張から出た氏族だという。北尾張部(おわりべ)の尾張神社の境内には、尾張氏の祖を祭る尾張姓霊神社がある。この地区に尾張氏の一族が住んでいたのかもしれない。尾張郷は、尾張部郷とも呼ばれていたらしい。鎌倉時代以後は「尾張部」「尾張辺」と書くのがふつうである。現在の北尾張部・西尾張部という地名も、これに由来する。