石渡字今井にあり、近世初期以来高山氏の屋敷になっている。応永(おうえい)六年(一三九九)島津国忠が新任守護小笠原長秀に背き、守護軍は十一月に石渡館を攻めている。たぶん館主の今井氏が島津氏に属したのだろう。館は幅ほぼ二間(三・六メートル)の堀に囲まれ、ほぼ一辺四〇間(七三メートル)の方形をなしていた。
現在は北側の堀の一部と西側の土塁の一部を残すだけだが、昭和初年までは、東・北・西の三方の堀が残っていた。
館跡は条里的地割りに沿っており、東側の道は南北に長くのびる条里の幹線の一つである。
石渡館跡