石高の変遷

553 ~ 553

慶長(けいちょう)七年(一六〇二)森忠政検地の村高は、北堀・南堀・石渡が三五二~三九八石でほぼ似た石高、北長池・北尾張部が五〇〇石近くでほぼ同じである。元禄(げんろく)郷帳・天保(てんぽう)郷帳でもほとんど変わらないが、北長池だけは蒔田新田、十二などの枝村が増えて、石高が増えている。他の四村が主に六ヶ郷用水に頼っているのに対し、北長池は南北両八幡(はちまん)川の水を使用でき、用水にめぐまれていた。明治七年当時の石高も、北長池だけが増えていて、他の四村と異なっている。北屋島・南屋島はそれぞれ高井郡福島村・綿内村の新田で石高・戸数・人口とも本村に含まれているので明らかでないが、近世の新田として発達した村である。

 なお、桜新町は昭和五十年に北尾張部から独立、一つの行政区になった。


表3 朝陽地区諸村石高 (単位:石)