用水保護のため、裾花川の取り入れ口の大口の工事や、用水の切り払いなど、各旧村に人足を割り当てて工事をおこなうことが多かった。
北尾張部と北長池の境を流れる北八幡川は、蛇行(だこう)がはなはだしく、草などが茂って水の通りが悪くなるので、春秋二回、人足を出して切り払いをする。北長池は北岸を、北尾張部は南岸を切り払うことになっていた。この仕事を「皆出来(かいしんらい)」といい、当番の集落から、桐の箱に入れた番帳と文政(ぶんせい)十二年(一八二九)の規定書を両村と西尾張部・小島に回していたが、昭和五十七年に中断した。
南八幡堰は中央通り島の寮で八代(やしろ)堰に分水し、七瀬観音寺前で犀(さい)川の水を補い、上高田西で風間へ、つぎに西尾張部・五分一・南長池などに分水、南長池北部で北堰・南堰に分水し、末流は前川を通って千曲川に入る。管理は北長池区である。