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商工業

561 ~ 561

朝陽村の生産は農業生産が大部分で、その他の生産物は石渡の土瓦(つちがわら)・セメント瓦、南堀の鎌(かま)、北堀の納豆などがみられる程度である。大正十年には専業の商家は八戸であった。昭和二十八年当時、商工業者は七七戸、うち建設業三五、日用品・雑貨・菓子九、簞笥(たんす)建具六戸などであった。

 戦前の工業で目立つのは、北尾張部の簞笥である。北尾張部はよく乾燥し、材料の桐・杉が早く乾いて品質がよく、南高田の業者に好まれてそこへ卸(おろ)しているものが多かったが、市内の中心の家具屋へ卸すものもあった。昭和五年ころには農家五十余戸の約半数が簞笥関係の仕事をしていたが、戦後は衰えた。

 長野市へ合併後は人口の急増にともない、事業所・商店などが急増した(第七節参照)。