朝陽小学校・支所の横を南北に通じる県道三才大豆島(さんさいまめじま)中御所線は、近世から大道(おおみち)と呼ばれて幹線道路の一つだった。県道吉田須坂線も、近世からほぼ現在どおりの道筋だった。国道一八号、主要地方道長野須坂インター線も、だいたい同じ道筋が古くからあった。このほか、善光寺仁王門北(旧境内の南縁)から善光寺下、中越(なかごえ)・太田・石渡(いしわた)など諸村の南を通って小島に通じる道は中道(なかみち)といわれ、古代以来の古道で、昭和初年まで利用された。町村制施行により役場が北長池十二地籍に設けられ、そこに通じる道路が整備あるいは新設された。それまでの道はほぼ六尺(約一・八メートル)幅だったが、主な道は九尺に広げられた。主な村道は用水堰に沿っていた。