四本の県道

562 ~ 564

朝陽村では南北方向に一本、東西に三本の県道が走っていた。南北の道は古代の条里の線に沿ってほぼまっすぐに南北に通っており、村道中央線と呼ばれたが、昭和二十六年(一九五一)、県道三才大豆島中御所線になった。南堀・石渡地区を通る吉田須坂線は、南堀村と石渡村の境でもあったから、中世以来の道路であろう。北尾張部・北長池地区を通る長野須坂線は、昭和三十八年供用(きょうよう)開始、昭和四十一年国道一八号バイパスとなり、朝陽地区の中心の道となった。幅員一八メートル、将来は二二メートルが計画されている。国道一八号と県道三才大豆島中御所線の十字路は地区内第一の交通量で、付近は急速に市街地化している。


写真15 国道18号北尾張部交差点 県道三才大豆島中御所線と交差する。交通量が多い

 井上(中村)長野線は明治三十三年(一九〇〇)に新道として開かれ、大正十二年(一九二三)に県道になり、平成五年(一九九三)須坂長野東インター開設にともなって、主要地方道長野須坂インター線になった。平成八年にはこの道沿いにオリンピックスピードスケー卜会場「エムウェーブ」が完成、周辺に大型店などの進出が多く、市街地化しつつある。

 屋島橋は、渡し船で通行していたところへ大正十四年、本橋を架け、昭和四十五年、鉄橋が完成、平成八年には新屋島橋が完成し、長野市街地への東の玄関口になった。


写真16 長野市の東玄関新屋島橋

 国道一九号両郡橋付近から更北・大豆島を経て国道一八号に通ずる外環状線のうち東外環状線は平成八年朝陽住宅団地(メディア村)東まで開通した。


写真17 長野市の東の玄関口屋島 左の白い屋根はエムウェーブ。右のビル群はメディア村