筆塚と寺子屋

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北長池の今井家は初代佐文、周軒(発古)、宰治(講斎)、多門(兼孫)と四代医者がつづき、宝暦(ほうれき)(一七五一~六四)から明治六年(一八七三)まで代々寺子屋を開き、初代・四代は門弟三〇〇人におよんだ。北堀の千野六兵衛義方(慶応(けいおう)四年・一八六八没)、北屋島の陽莟(ようがん)庵主漸誉頓庵(ぜんよとんあん)(文政(ぶんせい)十三年・一八三〇没)、北屋島の豊森宰信(修験(しゅげん)、明治三十八年没)、北長池の今井栄左衛門(明治二十二年没)、石渡(いしわた)の長谷川儀平治(天保(てんぽう)十四年・一八四三没)、同倉沢光寛(明治十三年没)、南堀の藤沢直章(文久元年・一八六一没)もそれぞれ寺子屋を開いた。いずれも筆塚が現存する。

 北尾張部(おわりべ)の浅野勘兵衛は寛政(かんせい)七年(一七九五)自宅に心学講舎「博厚舎」を開設した。昭和四十二年(一九六七)、子孫により「石門心学顕彰碑」が朝陽郵便局南に建てられた。