明治五年(一八七二)、戸籍区を改めて新しく区制をしき、若槻(わかつき)地区は第六一区となり、これには若槻・浅川(あさかわ)・高岡(たかおか)地区が編入された。同七年、また改めて大・小区制となり、若槻は第二五大区第四小区となったが、檀田(まゆみだ)村は浅川地区と同じ第五小区となった。同十二年、大・小区は廃止され、県下の一〇郡は一六郡となり、水内(みのち)郡も上下に二分され、若槻は上水内郡となった。さらに、県は一〇ヵ村ぐらいを単位とした連合町村と連合戸長役場の設置を布達した。これにともない明治十八年四月から若槻・浅川の一〇ヵ村は一つの行政区となり、連合戸長役場を東条に設置し、連合戸長に鈴木長兵衛が就任した。