一 遺跡

583 ~ 583

 若槻では、旧石器時代の遺物は発見されていないが、縄文早期のものとされる楕円(だえん)押型紋土器の破片を出土した田子二本松遺跡をはじめ、北部には数多くの縄文時代の遺物が出土、採集されている。石棒・石鏃(せきぞく)・凹石・石匙(せきひ)・石斧(せきふ)の石器類や土器があり、多くの縄文人が定住したと思われる。

 稲作農耕の始まった弥生時代の遺物は、田子(二本松)、吉(沢田)のように縄文遺物と重なるところもあるが、多くは南部地域に移っている。昭和五十四年(一九七九)の徳間小学校建設用地で発掘された弥生中期の住居跡をはじめ、神楽橋・稲田二ツ宮など数多くの遺跡は浅川扇状地遺跡群として知られている。当時の米作りの有力な証拠とされる石包丁も東条(寺山)から出土しており、この地域への稲作農耕の渡来を伝えている。


写真2 東条寺山出土の石包丁(弥生時代)