古代の若槻地区は、芋井郷と太田郷に属していたことが明治初年の『町村誌』に記されている。稲田・徳間・檀田(まゆみだ)は「本村古時水内(みのち)郡芋井郷ニ属シ(和名抄ニアリ)」、吉・田子は「本村古時大田郷ニ属シ(和名抄ニアリ)」とある。東条(ひがしじょう)・上野(うわの)については、「本村古時不詳、中古若槻郷ニ属ス」とその所属は不明であるが、両村も芋井・太田郷のいずれかに属していたものであろう。信濃には一〇郡と六七郷が置かれ、ほぼ五〇戸をもって一郷とした。その地域については地名などからある程度推定されるが、不明なことが多い。