若槻里城跡

586 ~ 587

若槻団地 住宅地に位置するため遺構の大部分は失われているが、堀の一部は東条耕地の灌漑(かんがい)用水池として古くから利用されている。団地北公園には「若槻里城跡」の標柱が建てられている。

 鎌倉時代初期に源頼隆が幕府御家人として若槻氏を名乗り、地頭職となって本城を築きここに居住した。以後十数代にわたり、戦国時代までこの地に繁栄した。一族に押田氏・多胡氏・本堀氏があり、それぞれに居館跡が現存する。

 城跡は、南北一八〇メートル、東西一二〇メートルの本郭(くるわ)・二の郭を幅一八メートルの堀で囲み、現在池となっているのは西北の一部で、二方は埋め立てられて団地造成まで本郭跡とともに耕地になっていた。