若槻山城跡
東条 三登(みと)山の支峰、字城(じょう)の頂上にあり、遺構もよく残されている。この山城は里城とともに若槻氏によって構築されたものを、戦国時代に手を加えた、市内でも最大規模の山城である。標高六七六メートルの本郭は東西二三メートル、南北四五メートル、土塁や空堀もよく残り、段状につづく郭の数は約三〇ある。さらに、北方五〇〇メートル、比高一二〇メートルには巨石を配した「番所(ばんどこ)」を置き、見張り所としていた。本郭中央に河床礫(れき)が残置され、落石用であろうが、すべて実戦用に築かれている。
写真4 若槻山城跡の遠望 ①山城、②番所