稲田 旧稲積村の地籍にあり、東西五〇メートル、南北三〇メートル、四辺の土地より一段高く、西方から北へ五郎川の流水を巡らして堀とし、その深さは五メートルにおよぶ。四囲に矢竹が自生していたが、平成三年(一九九一)、区画整理により昔日の面影はなくなった。本堀氏も若槻氏の族籍で、初代将監(しょうげん)は室町時代の人であり、数代本村に居住した。子女が西条の坂原氏に嫁すとき、化粧免として与えた石高二五貫文(高五〇石)は明治九年(一八七六)まで西条村飛び地として分知された。天正(てんしょう)年間(一五七三~九二)高井郡桜沢(中野市)の若槻新荘代官となっていた稲積新左衛門は、本堀氏の子孫といわれている。