若槻地区に現存する石造文化財は約五百基と、その数はきわめて多い。このことは昔の人の神仏に対する敬虔(けいけん)さを示すと同時に、当地が良質の髻(もとどり)山産の石材に恵まれたことも一つの要因と考えられる。
馬頭観音三二基を含めた観音像が一五七基ともっとも多く、地蔵菩薩(ぼさつ)(六地蔵を含む)八九基がこれについで多い。年代のわかるもっとも古いものは、万治(まんじ)三年(一六六〇)の庚申塔(こうしんとう)(東条)と同年の巡拝塔(吉観音山)の二基である。
田子地蔵院の巡拝塔は西国・坂東・秩父百番観音のうち、西国(三十番)・坂東(十七番)各一基が欠けてはいるか、光背型の八〇~九〇センチメートルの立派なものである。寄進者は当所・上野・吉と地元が多いが、浅川・芋井の各村、遠くは信州新町、稲付(いねつけ)(信濃町)の人もおり、各地に組織された観音講の人たちの信仰のよりどころであり、文政(ぶんせい)五年(一八二二)七月にはこの開眼供養のため当院第十世大枝和尚によって盛大な法要が執行された。
地蔵菩薩は各地に所在するが、とくに享保(きょうほう)四年(一七一九)田子・田中・上野に三基の岩船(いわふね)地蔵が造られ、山村には珍しく舟型の台石に鎮座している。田子の岩船地蔵は「雨乞い地蔵」としても有名であり、毎年七月二十三日は地蔵縁日として村人に親しまれている。