一 神社

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 若月神社 檀田(まゆみだ) ①祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと) ②由緒 本村の産土神(うぶすながみ)で檀田の集落は古くは字里城付近にあったという。元和(げんな)八年(一六二二)の古文書によると三月~八月毎日人夫を割り当て、現社地(長塚)に本社が再建された。諏訪(すわ)明神と称されていたが、文政(ぶんせい)六年(一八二三)若月神社に改称した。

 稲田神社 稲田 ①祭神 健御名方命・八坂斗女命(やさかとめのみこと) ②由緒 稲田には以前、稲積・山田・稲倉三村それぞれに諏訪明神を祭って祭日も別々であった。明治八年(一八七五)稲積村と山田村が合併して稲田となったが、神社はそのままで、ことに稲積村では同七年に社殿を再建した。同三十九年、村民の総意により村の中央に社地を定め、それぞれの神社を解体移転して現在の稲田神社が創立された。同時に村内各地に散在していた二ツ宮・熊野社・社宮司・山王社・天神社も新しい境内地に移された。

 諏訪神社  徳間 ①祭神 健御名方命 ②由緒 建徳(けんとく)元年(一三七〇)本社を造営、応永(おうえい)五年(一三九八)諏訪(すわ)本宮から薙鎌(なぎがま)を奉載して御神体としたという。社地のある五ッ屋の地名は、上徳間村発祥の地であり初めは五戸であったことによるという。昭和四十一年(一九六六)には西八幡社(氏子は旧西条村徳間組)を合祠(ごうし)、現在は若槻団地住民も当神社の氏子となっている。

 八幡神社 徳間 ①祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと) ②由緒 旧下徳間村の産土神。往古原の山に鎮座されたが、永禄(えいろく)年間(一五五八~七〇)兵火にかかり焼失、元亀(げんき)年間(一五七〇~七三)に再建された。その後、慶長(けいちょう)年間(一五九六~一六一五)に北国街道が開かれ住民は現在の地に移り住み、神社があまりにへだたるため嘉永(かえい)三年(一八五〇)に現在の地に移した。

 蚊里田(かりた)八幡宮 東条 ①祭神 誉田別尊(応神天皇)・足仲彦尊(たらしなかつひこのみこと)(仲哀天皇)・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)(神功皇后) ②由緒本社は仁平(にんぴょう)年間(一一五一~五四)の創立といわれ、若槻荘の総鎮守であった。御神体は神功皇后が新羅(しらぎ)征服のさい帯せられたという、「鎮懐石(ちんかいせき)」といわれる霊石である。御神体にあやかり、本社には古くから崇敬者によって寄進された、数多くの男根石が奉納されている。

 春の例祭は五月八日におこなわれ、「お八日(ようか)」として近郊の人から親しまれ、奉納相撲や種もの市・農具市でにぎわった。平成四年(一九九二)から五月五日(こどもの日)に変更されたが、植木市や露店で相変わらずのにぎわいをみせている。また、祭りにたてられる七反幟(たんのぼり)は、佐久間象山の揮毫(きごう)によるものである。東条出身の象山の高弟、花岡馥斎(ふくさい)の仲介によって書かれたという。この幟にはつぎのように書かれている。

  威稜扶宇宙(威稜宇宙(いりょううちゅう)を扶(たす)け) 嘉永(かえい)甲寅春三月

  恩巻煦生霊(恩音生霊(おんけんせいれい)を煦(く)す)  象山平啓子明書

 読みと意味を書いた解説書が東条に現存している。明治三十五年郷社となる。


写真7 蚊里田八幡宮春祭りのにぎわい

 粟野神社 上野(うわの) ①祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと)・健御名方命 ②由緒 本社は『延喜式(えんぎしき)』神名帳(じんみょうちょう)登載の古社であり、水内(みのち)郡九座のうちの一小座といわれる。旧記神宝は永禄(えいろく)年間(一五五八~七〇)、甲越交戦のさい兵火にかかり焼失したと伝えられる。諏訪明神と称したが、天明(てんめい)六年(一七八六)に正式に社名を認可され改称した。豊野町石(いし)の粟野(あわの)神社と論社(ろんじゃ)となっている。祭神の少彦名命は粟を生んだ神であり、地名の上野は粟野の転化であるという。

 滝宮神社 田中 ①祭神 美都波乃女命(みとはのめのみこと) ②由緒 この神は伊邪那美神(いざなみのかみ)から生まれた神で水神であることから滝ノ宮という。創立は稲作農耕に関係があるといわれる。

 田子神社 田子 ①祭神 健御名方命 ②由緒 享保(きょうほう)三年(一七一八)、飯山藩主本多若狭守(わかさのかみ)助芳から先祖の本多豊後(ぶんご)守が関ヶ原の合戦に使用した軍旗紋章が奉納され、宝物として現存する。天明(てんめい)六年(一七八六)諏訪大明神を田子神社と改称。拝殿の西側からは、毎分約三石(約五四〇リットル)の良質の清水が湧出(ゆうしゅつ)して田子清水といわれ、古くから飲用水として利用され、明治十一年、天皇北陸ご巡幸の折にも御膳水として用いられた。現在も水をくんで帰る参詣者が多く見られる。

 諏訪神社 吉 ①祭神 健御名方命 ②由緒 本村の産土神として千載松(せんざいまつ)のあった字石藪蔵(いしやぶくら)にあったが、明治二十二年秋、神社は藤原の地へ遷座された。同二十九年五月の村の大火により社殿焼失、同三十年九月再建されたのが現社殿である。

 三登山神社 山千寺 ①祭神 健御名方命 ②由緒 もとは諏訪社と称した。文化(ぶんか)十三年(一八一六)丸山弥右衛門が社殿を再建し、三登(みと)山神社と改称した。

 七面社 吉 ①祭神 市杵島姫命(いちきしまひめのみこと) ②由緒 安芸国(あきのくに)(広島県)厳島(いつくしま)弁財天を祭神とする。元禄(げんろく)十四年(一七〇一)三登山山論が起こり、惣代細野九之丞(くのじょう)が、甲州身延山七面大明神に勝訴を祈願して本望を遂げたので、小清水に社地を奉納して、七面大明神を勧請(かんじょう)したものである。文化(ぶんか)九年社殿が破損したため、村民の助力をもって再建した。境内に九之丞鎮守がある。