長沼地震

608 ~ 609

昭和十六年七月十五日真夜中に起きた長沼地震により、死者六人、重傷一一人、家屋全壊七六棟の被害があった。この地方では弘化四年の善光寺地震以来の大震災となったが、震源地は長沼付近で震度六の烈震であった。被害は震源地に近い長沼村がもっともひどく、古里・若槻・神郷(かみさと)・浅川の各村も被害甚大となった。若槻では死者二人、重傷者三人、家屋全壊五戸・半壊四二戸という被害があり、稲田の倒壊した一戸では夏蚕を飼育中で練炭を使っており、この家から出火したが大事にいたらず消火できた。徳間では全壊した家の下敷きになり高等科二年、初等科六年の兄弟が圧死した。

 若槻小学校も校舎が傾いて臨時休校となり、一部校舎は使用停止となり、各神社の幟竿(のぼりざお)を持ち寄って「つかえ棒」の応急処置をし、修復するまで二部授業がおこなわれた。