和歌

612 ~ 612

田中鶴子 弘化(こうか)二年(一八四五)、稲倉村(稲田)に医師田中秀鄰(しゅうりん)の娘として生まれる。少女時代から佐久間象山、岩下桜園について勉学、漢詩、和歌をよくした。明治二十年(一八八七)には「明治百人一首」に入選。「富士山詠百首」をはじめ数多くの和歌が残されている。また、書家として各地の大幟(のぼり)を揮毫(きごう)している。


写真12 田中鶴子和歌「富士山詠百首」の短冊