若槻団地の造成

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昭和三十年代には人口の都市集中化がいちじるしく、長野市においても住宅不足による近郊農地への進出も多く、農地の乱開発が問題となった。同三十八年、県企業局は若槻地区(徳間・稲田)に面積一〇万坪、住宅一〇〇〇戸を目標に、商店街・公園・保育園などを設備した模範的な住宅地を企画・着工した。同四十六年に竣工し、当時県下随一の団地として注目された。

 平成八年(一九九六)三月の世帯数は一一五二戸、人口は三二六二人である。