新幹線工事と北新都市の構想

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南北に縦走する長野-荒瀬原線(若槻大通り)の開通で、郊外店の進出や住宅の急増で若槻地区は大きく変貌したが、長野市では北陸新幹線高崎-長野間一二七キロメートルを一九九八年長野冬季オリンピック開催の前年、平成九年十月の開業をめざして工事が進められた。

 若槻では稲田地区に五七〇メートルの工事区間があり、この区間で長野電鉄線、JR信越本線と立体交差するため、地上一四メートルの市内最高の高架となっている。


写真13 建設中の新幹線と稲田のえのき(市天然記念物)

 さらに、市の大型事業として若槻・古里と豊野町の二五一ヘクタールの地域にわたる長野北新都市開発整備事業があり、平成六年、事業構想の素案が認可された。地域を産業業務・学術研究・住居系と、それぞれのゾーンに分けて、自然環境に恵まれた丘陵地に、定住人口一万人の複合的な新都市の建設を目標としている。