長沼地区は近世の初め、長沼上町(ながぬまかんまち)・長沼栗田町(くりたまち)・長沼六地蔵町(ろくじぞうまち)・長沼内町(うちまち)・長沼津野村(つのむら)・赤沼村(あかぬまむら)・赤沼河原新田村(かわらしんでんむら)の全部の村が松代領であった。元和(げんな)二年(一六一六)長沼領。元禄(げんろく)元年(一六八八)からは長沼藩の廃藩により幕府領。廃藩置県後、明治六年(一八七三)の戸籍区では第六二区に属し、同七年の大小区制では第二五大区一小区に所属し、その扱所は長沼大町に置かれた。同六年には赤沼村と赤沼河原新田村が合併して赤沼村となり、同九年五月三十日、長沼六地蔵町・長沼内町が合併して長沼穂保町(ほやすまち)村となり、長沼上町・長沼栗田町(くりたまち)が合併して長沼大町(おおまち)村となった。同十二年には大小区制が廃止され、各村に戸長役場を設け民選戸長を置いた。明治十八年連合戸長制がしかれ、柳原地区と連合して一つの行政区となった。「長沼大町ほか六ヵ村」の戸長役場は長沼大町字上町の民家を借家した。