長野市への編入合併

623 ~ 624

昭和二十九年(一九五四)四月一日、長沼村は長野市周辺の一〇ヵ村とともに長野市に編入合併した。合併までの経過は同年一月十六日、長野市から長沼村に対して、合併の申し入れをしてきた。長沼村では、「合併問題協議会」が設置された。一月三十一日の協議会において、長野市への合併を決定し、同日に合併の申し入れをし、同時に長沼地区に排水事業の実施・水道の完備・学校施設の充実・市の中央部へ通じる道路の新設などを申し入れた。二月二日の長野市議会で合併が承認され、二月六日合併に調印し、三月二十五日に小学校校庭で長沼村の解散式を挙行した。合併により、長野市の長沼地区(戸数五五一戸、人口三一七二人)と称し、大字大町・大字穂保・大字津野・大字赤沼と呼ぶようになった。村役場は長沼支所となった。同三十三年四月一日には長野市立東北中学校が長沼地区に開校し、長沼・柳原・古里地区の生徒が通学するようになった。