大田神社 赤沼宮配 ①祭神 大柄和気尊(おおともわけのみこと) ②由緒 本村の産土神(うぶすながみ)。神官太田家の記録に、大治(だいじ)年間(一一二六~三一)源頼隆の造立とある。寛保(かんぽう)・安永(あんえい)の洪水、延享(えんきょう)・弘化(こうか)の震災にあい、のち修復して現在にいたる。文化(ぶんか)五年(一八〇八)大田神社の社号を受けた。明治六年(一八七三)四月村社となった。
伊勢社 赤沼寺浦 ①祭神 大日霎尊(おおひるめのみこと) ②由緒 本村内河原の産土神。寛永(かんえい)十九年(一六四二)九月、長沼城主佐久間勝友の次男、佐久間長助勝興(かつおき)が三〇〇〇石を分与されて赤沼に分家した。その勝興が創立したものという。明治六年四月村社となった。
八幡神社 津野八幡 ①祭神 誉田別尊(ほんだわけのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ) ②由緒 当地の産土神。口碑(こうひ)によると、建久(けんきゅう)年中(一一ー九〇~九九)に長沼太郎が八幡地籍から当地に移し矢場八幡社と称す。明治六年四月村社となった。
守田神社 穂保外堀内 ①祭神 大碓命(おおうすのみこと)・大己貴命(おおなむちのみこと)・大山咋命(おおやまくいのみこと) ②由緒 長沼内町の産土神。守田神社は『延喜式(えんぎしき)』の神名帳(じんみょうちょう)にみられる式内社で貞観(じょうがん)元年(八五九)従五位上を授けられている。守田島から正保(しょうほう)年間(一六四四~四八)当地に遷祀(せんし)した。以前は日吉山王社と称していたが、文政(ぶんせい)二年(一八一九)水内郡七二会(なにあい)村守田神社とともに現社号となった。慶長(けいちょう)九年(一六〇四)大久保石見守長安の代官平岡帯刀(たてわき)が社領を寄進した。明治六年村社となった。
長沼神社 大町町屋敷 ①祭神 健御名方命(たけみなかたのみこと)・天照大神・大物主神(おおものぬしのかみ)・伊弉諾(いざなぎ)・伊弉册(いざなみ)神・保食(うけもち)神。②由緒当地の産土神。一奇石を神体とする。慶長九年大久保長安の代官平岡帯刀が、社領三石を寄進。正保二年失火したが、神宝の奇石、信玄寄進という木像、笛一管、木像獅子頭、薙鎌(なぎがま)も無事だった。正保四年再建。慶安(けいあん)二年(一六四九)大暴風雨・氷塊に神祠建物は崩壊し、明暦(めいれき)三年(一六五七)復興した。もとは諏訪大明神と称したが、文化五年現社号となった。明治六年四月村社となった。境内社北野天満宮は菅原道真を祀る。平成二年京都北野天満宮から分霊、二月二日学業成就祈願祭・梅花祭。