北八幡堰(きたはちまんせぎ)は長沼用水組合によって管理され、善光寺平土地改良事業として修築され、昭和五十九年(一九八四)には鉄筋コンクリート化し、長沼幹線用水路となった。この北八幡堰を開削したのは戦国末期の長沼の島津氏であるといわれている。また、長沼用水組合の原型は慶長(けいちょう)年間(一五九六~一六一五)に成立したであろうともいわれている。大正三年(一九一四)五月十二日にできた「長沼用水組合規約」によると、組合の目的は、「裾花川流域の水利権を確保する。八幡堰の取入口、南長野字前沖から柳原村小島大土居までの水路を管理する。用水にかかわる修理をする」と三つであり、一四人の議員(大町四人・穂保三人・津野三人・古里村富竹三人・同金箱一人)が、組合の世話役をすると定められている。