二 石高の変遷

644 ~ 644

 江戸時代の村の石高は表2のようである。

 慶長(けいちょう)七年(一六〇二)の森右近検地で長沼地区の村々の石高は二六三六石、これを一〇〇にした場合の指数は、二三二年後の天保(てんぽう)五年(一八三四)信濃国郷帳では一六六に増えている。とくに赤沼では三三〇と三倍以上に、津野は一八〇に増えている。水を治め土地を耕し、しだいに発展してきた。