北国街道松代通りの宿場は慶長年間に整えられた。北国街道松代通りは長沼宿を南北に貫き(現県道村山豊野停車場線の路線)、神代宿(豊野)で飯山街道、平出(牟礼)で北国街道善光寺通りに接する。長沼宿から西へ金箱・富竹・吉田・相之木通りを経て善光寺宿に通じる。福島宿(須坂)から大笹街道により上州へ通じる。慶長(けいちょう)十六年(一六一一)松代城主松平忠輝のとき、長沼大町は北国街道の馬継場(うまつぎば)と定められた。
信越線は明治二十一年(一八八八)五月一日関山・長野間が開通し、豊野駅から長沼杞柳(きりゅう)を、昭和二十三年(一九四八)ごろからはりんごを出荷した。杞柳の皮をはいた白い棒を列車で、山陽の但島(たじま)(兵庫県)や美濃(岐阜県)方面に原材料として出荷した。長野電気鉄道(現長野電鉄)は大正十五年(一九二六)六月二十八日、須坂・権堂間が開通し、柳原駅が開業した。昭和二十三年、県道村山豊野停車場線にバスが運行を始めた。
長沼地区内の幹線道路としては、縦軸幹線に国道一八号(アップルライン)、県道村山豊野停車場線、赤沼東部線につらなる長沼八七号線などがある。横軸に赤沼石線、赤沼新道一号線(農業構造改善事業)、津野三才線、穂保三才線、大町東北中学線かあり、そのあいだを一般市道がつらねる。
平成八年、長沼小学校南西の赤沼地籍に北陸新幹線長野車両基地ができ、「アップルブリッジ」が基地をまたいでいる。