津野玅笑寺(みょうしょうじ)の本堂柱には、寛保(かんぽう)二年(一七四二)(いぬ)戌の大満水以降六回にわたる床上浸水の水位が墨引きされている。昭和六十一年(一九八六)本堂改修のさいに、柱ごと庫裏に板付けされた。同五十四年浦野義朗の発議により、境内地に「千曲川大洪水水位標」を建て、本堂内の柱の記録と同じ高さを示した。一位寛保二年八月二日、二位明治二十九年(一八九六)七月二十一日、三位弘化(こうか)四年(一八四七)四月十三日、四位慶応(けいおう)元年(一八六五)五月十七日、五位明治四十三年八月十一日、六位同四十四年八月五日。赤沼の故深瀬武助か建てた「善光寺平洪水水位標」は老朽化したので、平成五年(一九九三)に建てかえられた。
赤沼での水位を算出するのに苦心し玅笑寺本堂の柱の水位標を基準に用いたという。