築堤工事

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①明治七年千曲川改修工事による旧堤は、馬踏九尺(二・七メートル)・堤敷三間(五・五メートル)・高さ九尺であった。②今の新堤防は大正七年(一九一八)から一〇ヵ年の継続大事業で、同六年の県予算八七六万円に始まり、のち内務省管轄(かんかつ)で実施、千曲川治水に画期的効果をあげた。長野県の国庫納入金のうち、長沼から県への寄付総額は三万九〇七六円八〇銭にのぼり、大正七年度から一六ヵ年間分納した。新堤は、馬踏四間(七・三メートル)・堤敷二〇間(三六メートル)、高さはところにより差がある。③昭和二十七年(一九五二)、穂保地区の千曲川護岸工事総工費六〇〇万円。④同三十五年九〇〇メートルの嵩(かさ)上げ工事と東側の勾配四〇メートルの石堤工事。⑤同六十年千曲川堤防工事津野地籍一一〇メートル区間嵩上げ工事。⑥平成元年(一九八九)千曲川堤防赤沼分が完成した。