村松春甫(しゅんぽ)

654 ~ 654

俳人・画家。安永元年(一七七二)~安政(あんせい)五年(一八五八)。八七歳。六地蔵町(穂保)本名凞。字処信。別号菫庵(すみれあん)・菫能屋(のや)など。俳諧を長野の戸谷猿左に学んだ。江戸で鹿野了承(一説に興信)に絵を学んだ。文化五年二月長沼から江戸の一茶へ手紙を送ったのが縁となって、一茶は長沼に足を運ぶことになる。現存する一茶肖像画のほとんどは春甫の筆になっている。文化十年秋、現長野市柳原に菫庵をつくり、記念に『菫草』を刊行した。晩年は近郷の子弟に絵を教えた。一茶の没後三十余年存命、一茶の顕彰につとめ一茶二七回忌は春甫が主催した。春甫の門人たちが「菫庵碑」を建てた。―けふの月ひろふたやうに思はるゝ(文化六年八月十五日一茶と姥捨山に登る)―