立花宋鵗(たちばなそうき)

654 ~ 654

俳人。文化七年(一八一〇)~明治十年(一八七七)。六八歳。六地蔵町(穂保)。経善寺一二世住職。立花呂芳(ろほう)の嗣子(しし)。本名鎮兄(しづえ)。字賢英。別号其一庵。呂芳の縁で一茶に学ぶ。天保四年『一茶発句抄追加』は一茶研究の好資料である。『一茶翁俳諧歌帖』『俳諧心意草』、郷土史方面で『科野さざれ石』の大著をまとめた。経善寺は宋鵗の代に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)にあい廃寺、長野町岩石町へ移住した。―見せ馬の蠅(はえ)に痩(や)せたり秋の暮―