旧赤沼・長沼学校

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明治五年(一八七二)八月、政府は「学制」を公布し、近代的な教育改革、国民皆学の方針を明らかにした。同七年四月赤沼村・赤沼河原新田村は赤沼学校を開いた。同年六月、長沼上町・長沼栗田町・長沼六地蔵町・長沼内町・長沼津野村は貞心寺に長沼学校を開いた。同十八年三月、連合戸長役場の設置が施行され、同十九年四月、第七番学区小学長沼学校を、長沼大町・長沼穂保町・長沼津野村・赤沼村・小島村(布野・中俣)・柳原村・村山村の七ヵ村で設立した。長沼穂保町に長沼学校本校を設けて赤沼支校、柳原支校、穂保町宋栄寺内に長沼学校付属分教室を置いた。