昭和四十一年国道一八号(アップルライン)の開通で交通量が多くなり、沿道にりんごの販売店・食堂・ガソリンスタンドなどのサービス業や諸会社が並び、昭和四十三年穂保・大町に工場が進出した。昭和四十六、七年から、赤沼ニュータウン・大町大栄地域に宅地が造成された。建設省長野国道工事事務所によると、アップルラインの一二時間交通量は、上信越道が須坂長野東インター(須坂市)まで開通する前年の平成四年(一九九二)二月は一万八九五九台で、信州中野インターまで開通(平成七年十一月)したあとの平成八年二月には一万七五四二台に減少した。