長野市への編入合併

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昭和二十九年(一九五四)四月一日、安茂里村など長野市周辺の一〇ヵ村は長野市へ編入合併した。

 安茂里村は、大正二年(一九一三)から同十四年まで一二年間は平柴の台地で正午を知らせる午砲(ごほう)を打ち上げたり、昭和四年には夏目ヶ原に長野市の浄水場が設置されるなど、それ以前から長野市との関係が深かった。また、市街地へ近接しているため長野市への通勤者も多かった。「合併の理由書」には、「住民のうち会社・工場に勤務する大部分の者が長野市内への通勤者で、村の農産物の大半は長野市において消化するなど日常生活上密接不離の関係があり、産業・経済・文化・交通など各般にわたって共通するところが多いためである」と記されている。安茂里村では、二回にわたる村民投票の結果、八五・九パーセントの賛成を得て、昭和二十九年三月八日村会で合併を決議した。


写真1 安茂里村道路元標(大門公民館前)