村名「安茂里(あもり)」の由来については、つぎのように伝えられている。
明治九年(一八七六)五月の四ヵ村合併にさいして、村名については各村はそれぞれ自村の名を入れることを主張してまとまらなかったが、当時副戸長であり国学者であった岡村与五郎が、古典から検出した「安茂里」を提案し、各村とも賛成し、決定した。
「天降(あも)る」は、万葉集にも「高千穂の岳に安母理(あもり)し」などと出てくる古語で、「神などが天上から地上に下りる」などの意味であるが、その古語に「安茂里」の文字をあてて、「安らけく茂る里」であるようにと新村発展の願いをこめて命名されたのであろう。当時新発足の村では「日下野(くさかの)」「住良木(すめらぎ)」「常盤(ときわ)」「豊栄(とよさか)」「瑞穂(みずほ)」など古典にあらわれる古語を用いるところが多かった。