四 戸口の移り変わり

669 ~ 670

 長野町の近郊農村として、人口は明治以降しだいに増加していった。大正初年に約二百戸の増加をみせるのは、白土採取のための労務者の来村によるものといわれる。第二次世界大戦をはさんで約三百戸、一七〇〇人が増加している。昭和三十四年(一九五九)に杏花台(きょうかだい)団地をはじめとして団地がつぎつぎに造成され、三十年代の後半から急増する。


表1 安茂里の戸口と人口