富士ノ塔山の南斜面にある萩平(はぎだいら)からは、一万五〇〇〇~七〇〇〇年前のものとみられる尖頭器(せんとうき)が出土している。ねずみ色の頁(けつ)岩で作られた槍(やり)の穂先で、木などの先に結びつけて狩りなどに使用したものである。これが安茂里地区に残された、現在確認できる最古の人類の足跡である。ついで平柴(ひらしば)からは、同じように槍先に使用された一万二〇〇〇年ほど前の有舌(ゆうぜつ)尖頭器が出土している。
平柴平には、今から四〇〇〇~三〇〇〇年前の縄文時代すでに集落ができていた。林を切り開いた広場を中心に、敷石住居跡が六、竪穴(たてあな)住居跡一が検出されており、ほかに石棒・石斧(せきふ)・石皿やスプーン状土製品・土偶(どぐう)などが発掘されている。動物の狩猟のほか、犀(さい)川をさかのぼる鮭(さけ)なども捕獲したのであろう。ここではまた、弥生時代の住居跡一六が発見され、なかには敷石のあるものもある。甑(こしき)とともに籾(もみ)の焼けたものも出土しており、当時この地域で稲作がおこなわれていたことが明らかになっている。方形周溝墓も発見されており、このころにはすでに村ができ頭(かしら)がいたと考えられている。
弥生時代の遺跡は段丘上に多く分布する。萩平・弥勒寺(みろくじ)・平柴平・西河原宮平・大門本堂・杏花台(きょうかだい)・欠下からは壺(つぼ)・甕(かめ)・高坏(たかつき)など多様な土器や、蛤刃(はまぐりば)石斧、穀物の穂を摘んだ石包丁(いしぼうちょう)などの石器が出土している。沢水を利用した水田耕作がおこなわれていたと考えられる。