旭山城跡

674 ~ 674

平柴(ひらしば) 旭山の山頂にあり、裾花(すそばな)川をへだて北の葛山(かつらやま)城とあい対する。標高七八五メートルで平野部からの比高は約四百メートルである。弘治(こうじ)元年(一五五五)川中島合戦のとき、武田信玄は大塚に、上杉謙信は善光寺に陣をとった。武田方についた栗田氏が旭山城へ入ったが、信玄は「下げ針を射るほどの精鋭三千人」を送りこんで城を守らせた。二〇〇日ほどの対陣ののち、今川義元の斡旋(あっせん)で、旭山城を取りこわすことを条件に両軍は和睦した。弘治三年の戦いには、上杉謙信はこの旭山城に本陣を置いた。

 本丸の周囲には土塁の跡が残り、本丸の西南から北にかけて多くの帯廓(おびくるわ)がある。東の尾根にも郭がつづき、大小の堀で仕切られている。先端の郭からの眺望はよく、善光寺平一帯を眼下に見下ろすことができる。西に水の手、倉屋敷跡が残る。旭山城はまた中腹の小柴見(こしばみ)城・大黒山(だいこくやま)城などの詰めの城でもあった。