大黒山城跡

675 ~ 675

平柴 旭山の東山腹の大黒山にあり、山頂一帯が城郭になっている。本郭は南北に長い楕円(だえん)形で、東に帯郭がある。北側に空堀をへだてて古墳があり、その周囲を帯郭が囲んでいる。現在左近稲荷が祭られている。西は高さ二〇メートルほどの急斜面で、その下は菖蒲(しょうぶ)池という湿地帯であり、北は裾花(すそばな)川に臨む断崖(だんがい)である。眼下に小柴見城跡や中御所の御所跡が見える。

 嘉慶(かけい)元年(一三八七)、村上・小笠原・高梨氏など信濃の国人たちは、守護代二宮種氏のいる「平芝(ひらしば)守護所」に押し寄せた。また、文安(ぶんあん)三年(一四四六)に小笠原宗康と長持が、信濃守護職の相続をめぐって「漆田原・大黒塚」で戦っている。大黒塚は大黒山城のことで守護所の要害城であったといわれる。この二度の合戦がおこなわれた「平芝守護所」は、いずれも小柴見城と合わせたこの一帯であろうとされる。