平柴 夏目ヶ原浄水場の南、比高一〇〇メートルたらずの尾根上にある。しかし、南は勝手沢、西はごぜん沢の険しい崖(がけ)が天然の防壁となっており、北は尾根を幅二五~三五メートルの中核土濠(どごう)で掘り切られていた。本郭は四〇×三五メートルほどの方形で、南と北に高さ二メートルほどの土塁が残っている。東南へ向かって三段の平地があり、現在は畑になっている。北に二の郭があったが、これは浄水場になった。城主は小柴見(こしばみ)氏で、永禄(えいろく)五年(一五六二)五月、小柴見宮内は上杉氏に通じたため、信玄によって善光寺で謀殺されたと伝えられる。小柴見氏の居館跡は現在の小柴見神社の社地と伝えられ、付近に「城(じょう)の腰」「寺屋敷」の地名が残る。