無常院 浄土宗 小市(こいち) ①本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい) ②山号菩提(ぼだい)山南泉寺 ③由緒 寺伝によると、永承(えいしょう)三年(一〇四八)天台宗誓林坊の開基で、はじめ中御所にあって善光寺七院の一つであった。永禄(えいろく)二年(一五五九)慶誉が浄土宗に改めて小市へ移し、寺堂を再建した。
本尊の阿弥陀三尊は河内国春日部村の仏工(ぶっく)稽文会の作。内殿の銅造一光三尊阿弥陀如来像は鎌倉時代中期作の善光寺仏で、市の文化財である。ほかに徳本曼陀羅(とくほんまんだら)・大太鼓が知られている。山門は元禄(げんろく)年間の建立でどっしりとした鐘楼門形式である。明治十年(一八七七)からここに罄宜(けいぎ)学校の小市支校が置かれていた。境内の中見堂観音は、信濃三十三番の十二番札所である。
称名寺 真宗西派 小市 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 宇多院要月山 ③由緒 寺伝によると、開基は佐々木盛綱で、親鸞(しんらん)に帰依して教仏といった。師命によって信州へくだり、はじめ腰村(現西長野)へ称名寺を開き、のち塩崎の長谷村を経て、承久(じょうきゅう)三年(一二二一)に小市へ移転したという。戦国時代の石山合戦には本願寺光佐へ兵糧米一六俵を送っている。本堂は全体が書院造りで桃山時代の様式を伝えており、中世の道場から寺院への過渡期の建造物として貴重だとされる。慶長(けいちょう)八年(一六〇三)本願寺光昭裏書きの親鸞上人画像があり、境内には南北朝・室町時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。
西敬寺 真宗西派 小市 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 影徳院 ③由緒 相模(さがみ)の武士三浦敦村が発心して善光寺へ参詣し、親鸞の弟子となり、倉科村(現更埴市)へ建立したのがはじまりで、のち奈良沢(現飯山市)へ移り、慶安(けいあん)二年(一六四九)善証のときに称名寺へ招かれてその塔頭となった。
西運寺 浄土宗 西河原 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 渓谷山 ③由緒 中世この地に栄えた窪寺(くぼでら)氏の菩提寺と伝え、その墓と伝えられる五輪塔がある。窪寺氏居館跡の西北にあたる。その後衰微し、天文(てんぶん)年間(一五三二~五五)僧禅栄によって再興され、寛文(かんぶん)年間(一六六一~七三)に再再興された。
正覚院 真言宗智山派 安茂里大門(あもりだいもん) ①本尊 大日如来 ②山号 慶紫(けいし)山月輪寺 ③由緒 寺伝によると、天安(てんあん)二年(八五八)慈覚大師が開いたという。小市の日輪寺に対して、月輪寺と称したらしい。俗に「窪寺」と呼んだ。また、大塔合戦ののち、香坂宗継は、発心して窪寺観音に二一日間参籠(さんろう)し、高野山へ登ったという。その後衰微したが、元和(げんな)六年(一六二〇)、後町の正覚院住職の良秀が移って真言宗に改め、中興開基となった。寺内には貞観(じょうがん)様式を残す木造十一面観音(県宝)や、同年代と推定される破損仏が多く残り、盛時をしのぼせる。山田荊石(けいせき)・青木包高(かねたか)ら土地の和算家が奉納した算額がある。境内には二つの観音堂があり、「安茂里の観音さん」と呼ばれ、杏(あんず)の花見の名所として知られる。
常安寺 曹洞宗 小柴見(こしばみ) ①本尊 如意輪観音(にょいりんかんのん) ②山号 朝日山徳寿林 ③由緒 古くは小柴見城主の陀枳尼(だきに)堂だったという伝承がある。文政(ぶんせい)年間、千本柳村(現戸倉町)長栄寺六世の良友が、戸隠参詣の折、当地の堂守と同行したのが縁で、請われてここに住み、寺子屋を始めた。二世天宗が寺堂を整備し、上条村(現信州新町)にあった常安寺の名を移して長栄寺の末寺とした。六文銭の寺紋は、本寺長栄寺が真田信之の娘見樹院の開基であるというゆかりによるものである。歴代住職は寺子屋を開き、境内にその筆塚がある。
阿弥陀寺 浄土宗 平柴 ①本尊 阿弥陀如来 ②山号 朝日山 ③由緒 古くから阿弥陀堂があり、本尊は弘法大師作と伝えられる石仏である。明治二十六年荒木黙堂(のち真堂)が諸国巡歴の途中ここに庵を結び、村民に請われて阿弥陀堂を建立し定住した。展望がよく、花見の客が多い。境内には「夕焼け小やけ」の歌碑をはじめ顕彰碑や観音など石造物が多い。
朝日山観音 平柴 ①本尊 聖観音 ③由緒 伝承では、もと旭山十三仏の一つで、かつて弥勒(みろく)寺集落にあった観音堂の跡だといわれる。明治の末年、近在の人が旭山中の洞窟(どうくつ)に観音像を発見し、参道などをつくった。のちしだいに参拝者が増え、昭和十一年(一九三六)に弥勒寺へ前堂(拝殿)を建立した。同五十八年十二月、参道が崩れて危険になったため、弥勒寺の前堂へ本尊を移した。現在ではとくに受験時に参詣者が多い。