小市の渡し

695 ~ 696

小市の渡しは中世以前からあった。慶長(けいちょう)十五年(一六一〇)には小市の船頭八人が高五〇石を受け、地役を免除されているが、文化(ぶんか)年間(一八〇四~一八)には水主一六人(うち船頭一人)になっている。小市の渡しは、松代領内七渡しの一つに数えられ、松代領内での重要な船渡しであった。犀(さい)川出水時には、市村の渡しにかわる北国街道の迂回路として利用され、また、松代城下と山中・戸隠方面を結ぶ渡船場であった。市村の渡しの船留めの日数は、年間六〇日から八〇日くらいが多いが、天保七年(一八三六)には一二二日におよび、約三分の一は不通だった。小市は、馬神街道を経て戸隠方面へ通じ、また、花上(はながみ)を経て大町方面へ通じる交通の要地で、松代藩の口留番所が置かれており、藩からは籾(もみ)一〇俵が与えられていた。

 明治十一年上流に両郡橋ができて、小市の渡しは廃止され、その後は作場渡しとして利用されていたが、昭和十年に丹波島橋の廃材によって小市橋が完成し、その役割を終えた。同四十一年小市橋は永久橋となった。