敗戦と民主化

702 ~ 702

第二次世界大戦には村内から約百五十人の戦死者を出し、また学童の集団疎開四七人を受け入れた。末期には、海軍軍令部が小市(こいち)に設置される計画があり、一部工事が始まった段階で終戦を迎えた。しかし、しばらくは混乱がつづき、昭和二十一年(一九四六)九月には対岸の四ッ屋(川中島町)に放置してあった機雷が爆発して、小市方面でもガラスを割るなどの被害を出すという事件もあった。いっぽう、村内有志による杏花楽団が結成され、小学校の体育館を借りて演奏会を開いたり、地区総会などに出演するなどの活動もおこなわれるようになった。