農地改革

702 ~ 703

終戦当時における安茂里(あもり)地区の小作農家率は全農家数の約四十パーセントだった。農地改革によって自作農家の創設がはかられ、不在地主や大地主の農地解放が推進された。昭和二十二年には、安茂里村地主擁護同盟が結成され、法案の緩和・修正が陳情されたこともあったが、翌年には解散した。これには農地の約四十パーセントが他村(犀(さい)川北岸)にあり、そのほとんどが、解放対象農地であったという特殊な事情もあった。安茂里村の小作農家は同二十五年には四・六パーセント、同三十年には二・五パーセントと減少している。いっぽう、買収など管理替えになった農地は、水田三七町余、畑三六町余、計七四町余で農地総面積の二一・一パーセントにおよんだ。安茂里村は県の指導村に指定され、全体的には順調に終了した。