交通網の整備

703 ~ 704

戦前までは安茂里村と長野市を結ぶ橋は相生(あいおい)橋一本だけで、バス路線もここだけであった。戦後安茂里地区の住宅化が進み、長野市の中心が南へ移動するにつれて、長野駅方面への連絡路が必要になり、昭和三十年には長野駅へ通じる裾花橋が、同三十五年に長安(ちょうあん)橋が開通した。しかし、その後もモータリゼーションの広がりにともなって自動車の通行量は急激に増加し、国道一九号の安茂里近辺は朝夕数キロメートルにおよぶ渋滞がつづくようになった。交通量調査によると、同三十七年に約二千七百台、同四十六年には一万六百台、同六十二年には二万二千台と、二十数年間に一〇倍近い増加である。その解消のために、同六十二年四月には、市道バイパス小市-中御所線(通称堤防道路)が開通した。また、平成二年(一九九〇)には差出地区の国道一九号も拡幅され、同五年にはさらに若里へ通じるあやとり橋が裾花川にかけられた。

 JR安茂里駅は、昭和六十年三月、国道一九号の朝夕の渋滞緩和策の一つとして、県・市の請願駅として設置された。利用者は年間四〇万人を超え、新駅としては全国的にも成功した例であった。


写真14 安茂里駅