明治四年(一八七一)七月、小田切地区の四ヵ村は松代県に属した。松代県は、同年四月公布された戸籍法によって戸籍区をつくった。小鍋(こなべ)村は、第四五区(明治五壬申年正月改、松代庁所部第四五区戸籍五ノ三)であった。翌五年四月長野県は、戸籍区を改正して新たに区を編制した。小田切地区の小鍋村、山田中(やまだなか)村、宮野尾(みやのお)村、吉窪(よしくぼ)村は七二会(なにあい)地区の村とともに第五五区に属した。区長は置かず、副戸長に轟平左衛門(宮野尾村)と酒井熊治郎(七二会村)が任命された。明治七年八月十七日小田切地区の四ヵ村は第二四大区第一小区となった。